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1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/12/19(木) 21:24:33.87 ID:gS6S4Vjw9 (1/2回レス) []
プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

篠塚和典、岡崎郁、吉村禎章、元木大介、緒方耕一&山倉和博、村田真一「90年代Gひと筋の好打者たち」/プロ野球20世紀の男たち

巨人・篠塚和典

80年代からのベテラン、90年代の新戦力

プロ野球のテレビ中継、いや、実質的には巨人戦のテレビ中継が頂点を極めた1980年代。
それまでも国民的スポーツの座を独占してきたようなプロ野球、そして巨人だったが、90年代に入ると、Jリーグの人気などもあり、ようやく競争にさらされることになった。

巨人ではアンチも含めて注目を集めてきた江川卓や人気者の中畑清は80年代に引退、打のスターで“若大将”と呼ばれた原辰徳もベテランの域に入り始めていた。
92年オフには“ミスター”長嶋茂雄監督が復帰。93年オフにはFA制度がスタートし、中日から落合博満、
ヤクルトから広沢克己、西武から清原和博と、豊富な資金力を背景とした大型補強を繰り返した。

故障にも苦しめられた原は95年オフに現役引退。同様に80年代の主軸で、2度の首位打者に輝いた篠塚利夫(和典)も、原よりも前にラストシーンを迎えている。
もともと故障も多かったが、90年代に入ると持病の腰痛で規定打席に到達できず。
それでも持ち前の巧打と堅守は健在だったが、94年オフ、恩師でもある長嶋監督にとっての初の日本一を見届けての引退だった。
現役生活19年、巨人ひと筋。各チームの主力が巨人のユニフォームに袖を通し、数年で放出されていった巨人の90年代は、逆説的に、生え抜きの好打者たちが印象を残した時代でもあった。

80年代は肋膜炎で出遅れながらも、まずは遊撃手として頭角を現し、89年に三塁、90年には故障に苦しむ篠塚に代わって二塁を守った岡崎郁も、若手時代は“篠塚2世”と言われた左打者。
柔らかいバットさばきで篠塚を彷彿とさせたものだが、実際は巧打者というよりは勝負強きクラッチヒッターだった
一方で、天才的な打撃センスを誇った左打者が吉村禎章だ。88年の守備中に左ヒザじん帯を断裂する重傷を負うも、
手術と懸命なリハビリを経て奇跡の復帰を果たすと、守備にこそ支障は残ったが、左の代打として記憶に残る活躍を続けた。


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