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1: 風吹けば名無し
2013/03/19(火) 13:28:46.67 ID:kqwaCl25 [1/1] AAS
1965年には当時パ・リーグの強打者として君臨していた野村克也と激しい三冠王争いをしていたが、
このとき野村に三冠王を取らせようという気運があり、スペンサーと対戦した投手はことごとく四球攻めをした。
とりわけ8月14日から同15日にかけての東京オリオンズの投手陣には、当時の新記録となる8打席連続敬遠を受けることになった。
8月15日のダブルヘッダー第1戦の先発は「精密機械」の異名をとる大投手小山正明であったが、
スペンサーに対しては4打席全てでストレートの四球であった。
第2試合も2打席連続四球で、しびれを切らしたスペンサーは次の打席で敬遠球を無理矢理打ち、連続四球は8打席で終わった。
また、10月3日には野村克也率いる南海と対戦。このときスペンサーはバットのグリップとヘッドを逆さまに構えて打席に立つという抗議行動に出た。
しかし南海は、その打席でもスペンサーを敬遠し、最終的にスペンサーは最高出塁率のタイトルを獲得したものの、
野村の.320、42本塁打、110打点には届かず戦後初の三冠王を許す結果となった。
【1965年の野村克也・三冠王へのアシストwwww】の続きを読む