野村克也

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    1: 名無し募集中。。。 2020/02/11(火) 18:30:10.44 0  []
    戦後初の三冠王
    3017試合出場
    8年連続ホームラン王
    投手の分業制を確立した
    監督としてヤクルトを優勝させた

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    1: 風吹けば名無し 2020/02/11(火) 10:08:54.22 ID:mqRSmjsba (1/1回レス) []
    球界のレジェンドが孤独死―。突然飛び込んできた野村克也氏の訃報に驚いたのは巨人小笠原(46)、その人である。
    「わざわざ高い金出して船内に隔離とはな」「ステーキ食うか?」と見舞っていた横浜沖のクルーズ船から飛び降り、都内の野村邸に向かったカッス。道中、厚労省により射殺されるハプニングにも見舞われたが、
    無事野村氏の遺体に接すると、「最期が一人でとはあまりに寂しいな」「奥さんと地獄で仲良くしてください」「張本も連れてけ」と鎮痛な面持ち。そっと、山本浩二氏に包むべく昨年から準備を整えていた香典を置いた。
    最後に「でもやっぱり不倫は良くない」と沙知代夫人との馴れ初めに物申した後、ついでなので東出昌大・杏夫妻の家を訪ねたところ、謎の阪神ファンのハリウッド俳優に捕らえられ、半地下に監禁されて死亡した。
    稀代の名選手・名監督の訃報に、大正義軍原監督は「高木さんに続いて野村さんも…そのうち我が軍の終身名誉監督も空くかな?」とコメント、阿部監督に禅譲後は二代目終身名誉監督に転身する意向を示した。
    なお、ノムさんに捧げる楽天優勝は間に合わんもよう。
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    1: 1号 ★ 2020/02/11(火) 11:36:03.23 ID:tr2eI5sA9 (1/1回レス) []
     プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が死去したことが11日、分かった。84歳だった。

     現役時代は南海、ロッテ、西武でプレー。契約金なしのテスト生からはい上がり、通算3017試合に出場した。日本歴代2位の2901安打をマーク。
    8年連続の本塁打、65年には捕手として史上初めて戦後初の三冠王にも輝くなど、輝かしい成績を残した。

     名捕手としても、日本球界の発展に貢献した。鋭い観察眼で相手の弱点をつき、投手の長所を生かす配球を徹底的に研究。打者への「ささやき戦術」で集中力もかき乱すなど、勝つためにあらゆる手段を駆使した。

     ライバルだった阪急・福本の盗塁を阻止するため、投手に素早い投球モーションで投げるよう要求。これが後のクイックモーションとなった。

     監督としても、球史に名を刻んだ。南海では1度のリーグ優勝。ヤクルト時代には代名詞の「ID野球」を浸透させ、リーグ優勝5度、日本一に3度も導いた。名将として阪神、楽天でも7シーズン指揮を執った。

     また、人気のあった巨人・王、長嶋に対抗心を燃やし続けた。「ONがヒマワリなら、おれはひっそりと咲く月見草」。自虐的な名言も残したが、その反骨心こそ、選手と指導者の両方で頂点を極めた原動力だった。

     他球団から自由契約やトレードで獲得した選手を活躍させる手腕は、「野村再生工場」と呼ばれて注目された。独特な語り口の「ぼやき」もファンの間で定着。“ノムさん”の愛称で親しまれた野球界の宝が、天国へと旅立った。

    2020.02.11(Tue)

    【【野球】野村克也氏が急逝 ONに燃やし続けた対抗心 契約金0のテスト生から野球界の宝に】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★
    2019/10/10(木) 07:44:09.92 ID:nuld23lp9.net [1/2] AAS
    野球界には、ときどき「怪物」と呼ばれる者が現れる。
    元祖怪物・江川卓、「ゴジラ」こと松井秀喜、投打二刀流で「100年にひとり」と言われる大谷翔平……。
    野村克也さんの新刊『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、
    長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。

    *   *   *

    バッター最強の怪物が中西太さんなら、ピッチャーのそれは金田正一さんしかいない。
    なにしろ、あの天才・長嶋がデビュー戦で4打席4三振をくらったピッチャーである。別格だった。
    でなければ、400勝などというとてつもない記録を打ち立てられるわけがない。

    私とはリーグが違ったので、対戦したのはオールスターとオープン戦程度だったが、どうしても名前負けしてしまった。
    「天皇」という異名をとったように、「地球は自分中心に回っている」と考えているタイプの典型で、マウンドでも堂々としているから、戦う前から呑まれていた。
    オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが、本気で投げたときのボールはすごかった。

    球種はストレートとカーブだけで、ストレートはもちろん史上最速といえるほど速かったが、それ以上にカーブがすごかった。
    当時の選手としては飛び抜けて背が高く、しかもオーバーハンドだから、まさしく2階から落ちてくる感じ。
    途中まで高めのストレートだと思っていると、ガクンと落ちる。
    だから、はじめて対戦するバッターは必ずお辞儀して見送るか、ワンバウンドを空振りしてベンチに帰ってきた。

    いまはそういうカーブ、すなわちドロップを投げるピッチャーがいなくなった。

    余談だが、昔、西鉄に西村貞朗というピッチャーがいて、この人のカーブもすごかった。
    木塚忠助、蔭山和夫という当時の南海の1、2番コンビが、西村さんのカーブをよけようとするあまり、うしろにひっくり返ったのをネット裏から見たことがある。

    ところが判定はストライク。バッターの頭に当たる直前で、ググッと曲がり落ちたのである。
    それを見たとき、「とても打てない」と思ったのを憶えている。ネット裏から見て打てないと感じたのだから、相当なものだ。
    事実、1955年に日米野球で来日し、15勝0敗1分と圧倒的な強さを見せたヤンキースの名将ケーシー・ステンゲル監督が「アメリカに連れて帰りたい」と語ったほどだった。

    話を金田さんのカーブに戻せば、金田さんのカーブは、厳密にいえばボールだった。

    バッターの前を通過するときは高めにはずれているのである。ところがそこから鋭く落ちるから、キャッチャーミットに収まるときはストライクになっている。
    審判がだまされてしまうのだ。ベンチからはボールの軌道がよくわかるので、「高いよ、ボールだよ」と野次るのだが、キャッチャーはど真ん中で受けているので、審判は「いや、入っています」と言って聞かなかった。

    のちにロッテに移籍したとき、金田さんと手の大きさを較べたことがある。
    金田さんの指は、私より一関節ぶん長く、しかも太かった。もしかしたら、あのカーブを生み出す秘密のひとつだったのかもしれない。


    *   *   *
    http://l.moapi.net/https://blogos.com/article/409179/
    幻冬舎plus2019年10月08日 07:25
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    1: 風吹けば名無し
    2012/11/22(木) 01:28:51.11 ID:nmPXxzxg [1/5] AAS
    谷繁元信 .300 8 54 (1996)
    相川亮二 .302 2 33 (2007)
    嶋基宏 .315 3 43 (2010)

    なんだったのか

    【西山秀二 .314 3 41 (1996)】の続きを読む

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